神習教

所在地

東京都世田谷区新町3-21-3

電話

03-3429-0825

メール

shinshukyo@shinshukyo.jp

公式ホームページ

http://shinshukyo.jp/

ご祭神

天御中主神(造化神)、高皇産霊神、神皇産霊神(気化神)、伊弉諾尊、伊弉冉尊(体化神)、天照大御神、歴代皇霊神、天神地祇(以上奉斎の神々を「本祠大神(ほんしおおかみ)」と総称す)。
相殿神 国常立尊、大国主尊、少彦名尊(以上三神を「御嶽三柱大神」と総称す)、饒速日命、底筒男命、中筒男命、表筒男命、伊久魂大神、豊受大神、倭姫大神。
審明殿奉祭神 本祠大神荒魂神、正一位稲荷大神、天兒屋命、天鈿女神、千代田稲荷大神

教典

古事記、日本書紀、宇宙の精神、惟神道問答、教苑花實、教憲十ケ条。 (日拝詞)。

教主

芳村 正徳

創始者

初代管長 芳村 正秉(よしむら まさもち)(1839年9月19日~1915年1月21日)

後継者

二世管長 芳村 忠明    (1897年7月27日~1985年5月9日)
三世管長(教主)芳村 正徳 (1964年10月27日~)

儀式・行事

元旦祭(1月1日)
大祭 (4月9日)
中祭 (9月17日)
教祖祭(1月21日)
教霊祭(7月9日)
大祓 (6月30日・12月27日)
をはじめ、祈年祭、節分祭他神道祭祀を執行する。

教史

 芳村正秉は天保10年美作国(現岡山県真庭郡川上村)に生まれる。若い頃から儒学、国学、和歌等を学び、安政4年、19歳の時京都に上がり尊皇の志士と交わる。
 ある夜、幕吏に追われ京都鞍馬寺山門内の由伎神社拝殿下に約一ヶ月の間籠もっていた。同志の無残な死を悲しみ、将来を静かに考える時、人間そのものに思いをいたし、人生の奥深い意義を思いさぐらねばならなくなった。その折「芳村家は大中臣の後裔にして神道の家系である。他日大中臣の神道を継ぎ、これを世に明かにせよ」との祖父の遺訓を祖母より教えられた時の光景が眼前に浮かび、大中臣神事の再興こそ自分の使命であると悟った。
 大政奉還後、神祇官に奉職し、また神宮(筆頭)禰宜、出納課長・常務課長、神宮司庁東京出張所長、龍田大社宮司を経て、家伝の神事遺法を修め、諸国の霊山に籠もる等により自己の神道を確立、明治十三年、東京神田に「神習教会」を設立、15年5月10日一教特立を願い出て、勅許を得て「神道神習派」と改め、同年10月6日「神習教」と改称した。
 大正4年1月21日正秉は75歳で死去。忠明が管長を継承する。忠明は教祖の遺言を奉じ教下に計り、大教庁・本祠を現在の東京都世田谷に移す。そして関東大震災・第二次世界大戦を凌ぎ、昭和60年5月9日二世管長忠明は88歳で死去。三世正徳が管長を継ぎ現在に至る。

教義

神観
 宇宙を内包する主宰神、天御中主神の造化の神徳により気化の神徳、体化の神徳が生まれ、天神地祇はじめ八百万神が存在世界に充ち満ちて、万事を分掌する。
 そして、天御中主神はじめ天神が建てた自然の天則を惟神の道という。  また、天御中主命の精神を受けた、最も徳の大なる神が天照大御神であり、その徳により万物を化育すると位置づける。

世界観
 新羅万象は象の見えぬ惟神の道が象を現したものであり、宇宙はその主宰神、天御中主神のいわば体内で、常に造化し変化を続ける。存在世界のありとあらゆるものは、この大本元の神より出ずると同時に、万物にはこの神の精神が宿っている。

人間観
 造化、気化、体化の神徳により、魂と靈とを身体に抱合される(神が御祖、人が神の子といわれる所以である)。それによって、この世に生まれるのが人であり、生き物の中でもより多くの神気を戴いている。
 魂とは分神そのものであり、汚れなきものであるが、霊は身体に抱かれると汚れを受けることがある。もともと霊魂には彼我は無いが、身体に宿ると同時に彼我が生じるからである。
 人は我心に従って、生きるのではなく、心身を浄めて汚れを去り、神の御心を受け、世の為に尽くすことが使命であり、その身に抱く神心をより磨き、神に習いながら生きることを良しとする。

祭式と祈り

 祈りの原点は、存在世界のあらゆるものを生成し、化育し、統べる神に誠心をもって謝び奉ると同時に、存在世界の禳禍と福を祈ることにある。
 また祭祀の道は万事に通じ、平和をはじめ、治世、人事においてもこれに勝るものはない。
 祭祀とは、神と人とが相見し、交際する法であり、それを行うには、神の御心が清浄なように、奉仕者も同じく丹き心をもって奉仕しなければならない。
 この精神をもって、諸々の神事を行い、大祭・中祭では、祭祀執行と同時に御動事御供式、鎮火式、探湯式などが行われる。
鎮火式と探湯式  天地万物は陰陽の二気によって造化される。この相互作用によって四時循環が起こる。この陰陽の働きを応用し、寒暑涼暖を超越する神事の鎮火式と探湯式が毎年の大祭と中祭で行われる。人々には、神気を授かり、攘禍祈福の徳があると信じられている。
御動事御供式  いわゆる釜鳴り神事である。大祭・中祭では、大前の儀を齋行する前に、神前にて執行する。

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