所在地
東京都世田谷区松原1-7-20
電 話
03-3321-0238
公式HP
ご祭神
主斎神
 大祖参神(天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神)
相殿神
 天照大御神、月夜見大神、此花開耶姫大神、
 彦火瓊々杵大神、天神地祇八百萬神
 
 
管 長
管長 宍野史生
教 典

「神理大要」「神徳経」

 
創始者
冨士道開祖
 藤原(長谷川)角行東覚(かくぎょうとくかく)
  1541(天文10)年1月15日〜1646(正保3)年6月3日

教祖初代管長
 宍野 半(ししのなかば)(冨士道七世)
  1844(弘化元)年9月9日〜1884(明治17)年5月12日
 
儀式・行事
報元大祭(3月春分/9月秋分)
開山御神火大祭
(6月3日/開祖冨士山頂結神の元亀3年6月 3日に因る冨士神法斎火祈祷)
御山神事
(7月中旬〜8月下旬/仙元宮御神鏡の冨士山 頂巡幸と天拝宮奉遷による連日神事)
夏越・師走の大祓
福徳歳開祭(1月)
歳納御礼祭(12月)
及び月例の月次祭(毎月12日)など
 
後継者

二世管長 宍野健丸(ししのたけまる)
         (冨士道八世)
三世管長 宍野健弌(ししのけんいち)
         (冨士道九世)
四世管長 宍野健之(ししのたけゆき)
         (冨士道十世)
五世管長 杉山一太郎(すぎやまいちたろう)
         (冨士道十一世)
六世(現)管長 宍野史生(ししのふみお)
         (冨士道十二世)

教 史

 神道扶桑教の起源は、永禄元(1558)年、冨士道開祖藤原東覚角行が戦国乱世の荒廃した世を救うため、故郷肥前国(長崎県)から諸国修行の旅に出て、「天地平安・萬人安福」を真願として斯道を開いたことに由来する。
 霊峰冨士山は日本の中心にそびえ、また日本大地全体が東天に向かって合掌した姿をなす。その頂上こそが万物の根元であり「もとのちちはは・仙元大神」との結霊(むすび)を戴ける場所である、と角行は山頂を目指し登拝修行を重ねる。元亀3(1572)年6月3日、角行32歳のとき初めて冨士山頂で北辰を拝し大神との結霊を直受し、「我は神 眼は日月 息は風 海山かけて我が身なりけり」という神観を授かり、冨士道を興す。
 その間多くの御文句・御神語を拝受した角行は、元和6(1620)年80歳のとき人穴で受けた神告「仙元宮」の御神鏡を謹製奉鎭し、正保三(1646)年106歳で一生を終えた。この御神鏡は「御神實(みかむざね)」として現在本部太祠に奉斎している。
 角行の死後、冨士道は二世日旺(にちがん)・三世玥心(がんしん)・四世月玥(げつがん)・五世月心・別立五世僧忡(そうちゅう)・六世光清・別立六世食行(じきぎょう)と継承される。六世食行は江戸幕府の施政に独自の教義を以て立ち向かい、享保18(1733)年冨士山烏帽子岩で即身入定を果たした。その後冨士道は「江戸八百八町に八百八講あり」とまでいわれるほど隆盛を極める。しかし冨士道の教えは治世に反抗するとされ、寛保2(1742)年に幕府による最初の冨士講禁止令が出され、嘉永2(1849)年の大弾圧を経て130年間、布教禁止を余儀なくされた。
 教祖宍野半は薩摩国(鹿児島県)に生まれ、明治六(1873)年、官幣社となった静岡県富士山本宮浅間大社(現在)の初代宮司に就任し、併せて山梨県の北口本宮冨士浅間神社の社司を兼任し、当地に赴いた。そこで登拝修行をする講社の人々の姿を見つつ、自らも冨士山に登拝して仙元大神の神威を感じた。先達たちの懇願に応えて冨士道復興の志を立て、同年「冨士一山教会」を設立。当時邪教視されていた冨士道の神道化を図り、「冨士山・日本」を意味する「扶桑」を教団名として、明治15(1882)年5月、勅裁により「神道扶桑派」として特立する。開祖以来の冨士道統、「他のために祈る」斯道は、ここに神道教派の一派として確立された。

教 義
 全ての生命の持続と営みは、大祖産神のみはかりによるものである。「地底より天空へ息吹なす冨士山こそ、天地結霊の御柱・萬本の根源である」という冨士道の教えに基づき、山そのものを崇拝するのでない、形儀・無有を超えての冨士山を根本道場として「他のために祈る」まことのこころを以て惟神の大道を宣揚する。冨士登拝修行ではたとえ嵐の中にあっても「六根清淨、御山は晴天」と唱えながら神の大息に自身を投じる。主唱する御神語「こうくうたいそく みょうおうそくたい じゅっぽう こうくうしん」で、神人合一の境地に身を置き、また御神名「たかまのかむろ かむろぎかむろみ くしきみたまを さきはへたまへ」を唱えて、安心立命への信仰心を高め、神の大恩を忘れることなく、天地平安・萬人安福を真願に日々実践してゆくことが大切である。また、人はその生を終えると、魂は大神のもとに還り「みそばつかえの御霊」として修行を続けるとして顕幽一如を説き、神の「みおきて」のまにまに生かされていることを心得ることによって大神とのムスビを認識することができる。
祭式と祈り
 毎月次祭をはじめとする祭儀には、教祖が著した本教の教典である「神徳経」を全員で奉唱している。純神道の面の他、本教は神事として行衣(山装束)を着て冨士山の形に組み上げた斎木を焚き、その浄火による祈祷を行なう法をも併せ持ち、開祖以来の冨士道統と教祖以降の教統を現在に継承しているが、双方とも根本に「無私」の心を以て人心を救済する、揺るぎない祈りが込められている。