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所在地
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岡山県浅口郡金光町大字大谷320番地
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電 話
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0865-42-3111
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URL
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創始者 |
金光大神(赤沢文治)
1814(文化11)年 8月16日生
1883(明治16)年10月10日没
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儀式・行事 |
元日祭 1月1日
春季霊祭 春分の日
天地金乃神大祭 4月1・4・7・10日
教団独立記念祭 6月第2日曜
秋季霊祭 秋分の日
生神金光大神大祭 10月1・4・7・10日
立教記念祭 11月15日
布教功労者報徳祭 12月第2日曜
越年祭 12月31日
月例祭 毎月10日22日
信行期間 1月
社会活動月間 7月
平和集会 7月
少年少女全国大会 8月上旬の土日
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後継者 |
(括弧内は広前における「取次」従事期間)
二代 金光 宅吉 (1883〜1893)
三代 金光 攝胤 (1893〜1963)
四代 金光 鑑太郎(1963〜1991)
五代 金光 平輝 (1991〜)
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教 史 |
金光大神は1855(安政2)年に喉の病を患い、瀕死の病状にあって人間存在の限界を知り、神のおかげを知らずに生きてきた無礼をひたすら詫びることによって、今まで知らなかった天地金乃神の思いを知ることとなりました。そしてその病の全快を得ると同時に、それまでの生き方をあらためて、神との対話にもとづく新しい信仰生活へ入っていったのです。その後、神意を自ら感得できるようになり、種々の試練や修行を経て、1859(安政6)年に神から要請を受け、農業をやめて「取次」に専念することとなりました。そして1868(明治元)年には、神から「生神金光大神」という神号を受けています。
人の願いを神に祈り、神の思いを人に伝えて、神と人が共に助かる世界を顕現する生神金光大神取次は、1883(明治16)年に金光大神が現身の取次を終えるまで、一日も欠けることなく続けられ、その取次によって救われた者の中から各地で取次に従事する者も現れていきました。金光大神没後、取次の業は後継者や各地の信奉者によって、途切れることなく受け継がれて今に伝わり、教団は1900(明治33)年に金光教として一教独立して今日にいたっています。
1983(昭和58)年の教祖百年祭には、金光大神の自叙伝ともいえる「金光大神御覚書」「お知らせ事覚帳」や金光大神の教え等を納めた新教典を刊行し、金光大神の信仰思想に基づいた教団の組織体制の整備と活動を展開してきています。
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教 義 |
生神金光大神取次によって、天地金乃神と人間が、あいよかけよで共に立ち行くありかたを現してゆく道が金光教です。
天地金乃神はいのちの根源、はたらきの根源であり、どこまでも人間を慈しんでやまず、そのような神のはたらきが人のはたらきの中身となり、人のはたらきが神のはたらきの中身となって、神と人が、お互いにはたらきの中身になり合うことを、あいよかけよと言います。人間は、自らがそのような存在であることを知り、自らの内にある神性に目覚め、神の願い(神願)のままに生きて、人を助けて神になる生活をすすめてゆくことが大切であり、そのような生活をすすめてゆくことが信心生活なのです。この神と人との間のあいよかけよを基本として、人と人、人と万物との間にも同様なあいよかけよが成り立ちます。
この道理を端的に示したのが「天地書附」であり、日々この書附の精神を忘れず、そこに示された世界を求めてゆくことによって、すべての人間は救われ、天地の間に平和はおとずれるのです。
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祈りと実践 |
金光教では日々、世界の平和と人類の助かりを祈っています。その祈りを尚一層具体化するため、「世界・人類の助かりに向けて、金光大神の信心を求め現す」を教団の基本方針に掲げて、様々な活動を進めています。2001(平成13)年には、信奉者の信心実践として、「一人ひとりが取次を受け現して、わが心の神にめざめ、人を助けて神になる信心を進め、連帯して教団および教会の活動を担う」ことを願って「あいよかけよの生活運動」を発足し、生活のあらゆる場で展開させています。また、国際センターや布教センター、平和活動センターを中心にした国際協力活動やボランティア活動、宗教協力なども積極的に進めています。 |
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