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所在地
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岡山市尾上神道山
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電 話
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086-284-2121
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公式HP |
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創始者 |
(教祖)黒住宗忠
安永9年(1780)11月26日生
嘉永3年(1850) 2月25日昇天
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儀式・行事 |
教祖大祭 (4月)
御神幸 (4月)
大祓大祭 (6月30日)
神道山御遷座記念祝祭(10月)
冬至大祭 (冬至の日)
節分祭 (節分の日)
春秋祖霊祭(春分、秋分の日)
月例祭 (開運祭一日、開運感謝祭第3日曜日)
御会日 (日曜日毎) |
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後継者 |
二代 黒住 宗信(くろずみ むねのぶ)
三代 黒住 宗篤(くろずみ むねあつ)
四代 黒住 宗子(くろずみ むねやす)
五代 黒住 宗和(くろずみ むねかず)
六代 黒住 宗晴(くろずみ むねはる)
現教主 黒住 宗道(くろずみ むねみち) |
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教 史 |
安永 9年(1780)教祖誕生
文化11年(1814)立教
弘化 3年(1846)教団の成立
嘉永 3年(1850)教祖昇天
安政 3年(1856)大明神号下賜
文久 2年(1862)京都神楽岡・宗忠神社御鎮座
慶応 元年(1865)同神社孝明天皇仰せの勅願所となる
明治 5年(1872)黒住教講社の公認
9年(1876)別派独立し神道黒住派と称す
15年(1882)神道黒住教と称す
18年(1885)大元・宗忠神社御鎮座(岡山市)
19年(1886)第一回御神幸斎行
28年(1895)教団機関紙発行
42年(1909)第一回黒住教教議会開催
昭和49年(1974)本部を吉備の中山・神道山に遷座
平成 2年(1990)神道山で「神道国際研究会」を開催
7年(1995)阪神淡路大震災の被災者救援のための炊き出し奉仕を51日間
に亘って行う
ダライ・ラマ14世法王を神道山に迎える
12年(2000)「ミレニアム世界平和サミット(国連宗教サミット)」の日本
使節団幹事教団をつとめる |
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教 義 |
天照らす神のみ徳を世の人に残らず早く知らせたきもの
この教祖が詠んだ歌を「御聖願」と呼び、黒住教はその実現を目的としている。教祖は「天命直授」の体験を通して、人は天照大御神のわけみたまたる「ご分心」をいただく神の子であり、罪の子でも、悪因縁を背負った子でもない。人が、その「ご分心」に目覚めることが幸せ、開運の道であると説く。
神道山に本部を遷座し「神道山時代」を迎えた黒住教は、教祖の原点に帰ろうと訴えている。すなわち、教祖の手振りに習い、お日の出を拝み、熱くなった心で、人のために祈り、人のために誠を尽くそうと。
東南アジアの福祉施設で働く人を日本に招いて研修機会を与えている福祉外交、日本の心ともいうべき現代日本の代表的な陶芸作品を、オーストラリアやニュージーランド、アメリカのフロリダの美術館に贈った文化外交と呼ばれる一連の動きも、この精神にのっとった国際的行動にほかならない。また、士農工商の身分制度の厳しい江戸時代にあっても上下の隔てなく、教祖は、一人ひとりを大切にし、武士といえども刀をはずして丸腰で教祖の話を聞き、女性も尊重され、すべて神の子として拝み合いの生活が実践されたが、この歩みは連綿として続いて今日に至っている。
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祭式と祈り |
教祖は五百年近く神職をつとめる家に生まれ、教祖自身神職として奉仕していたため、黒住教の儀式は神社神道の儀式を基本としている。
本教独特のものとしては教祖の手振りに習い、毎朝お日の出を迎えて勤める「ご日拝」を大切な祈りの時としている。ご日拝において、ご陽気(大御神の御ひかり)をいただいて下腹に納め、天地とともに気を養う「ご陽気修行」を大切な行としている。
祭典においては、教祖の教え「御訓戒七ケ条」の捧読がある。
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