所在地
奈良県奈良市大渕町
3775番地
電 話
0742-45-4581
御祭神
 国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を奉斎主神として「御嶽大神」と奉称し、木曽御嶽山の開闢大道彦たる覚明、普寛の二霊神を崇敬神として「開山霊神」と奉称する。また天神地祇八百万神を配祀神としている。
 
教主
管長 村鳥邦夫(むらとりくにお)
教典

・御嶽教教典
・準教典として
 「御嶽教神拝詞集」
 「御嶽教信仰規範」

 
創始者

下山応助(生没不詳)
 教団結成に際し、全国の御嶽講社及び信徒の糾合に尽力された、御嶽教立教の功労者で、創祖霊神と奉称する。

儀式・行事
除夜祭・元旦祭(1月1日)
寒中登拝(1月大寒前後)
神武天皇遺徳顕影及び
大和光霊殿大慰霊祭(3月最終日曜)
普寛霊場大祭(4月と10月の10日)
立教記念祭(5月17日)
夏山登拝(7〜8月)
大御神火祭(8月7日夜〜8日未明)
御嶽山大和本宮大祭(10月26〜28日)
おひかり祈祷祭(毎月7日夜)
 
後継者
初代管長 平山省斎
二代管長 鴻 雪爪
三代管長 山科言縄
四代管長 神宮寿
五代管長 神宮徳寿

六代管長 中山忠徳
七代管長 尾前広吉
八代管長 渡辺銀治郎
九代管長 渡辺照吉
十代管長 曽宮康之
十一代管長 大桃吉雄

十二代管長(現後継者)村鳥邦夫
教 史
 御嶽教は、俚謡木曽節で有名な、信州木曽の霊峰「御嶽」を、信仰の根本道場として発生した。
 神話に遡れば、日本の国土経営をせられた大己貴命の第二の御子、建御名方命が出雲国より信州諏訪湖の辺へ御下りになり、信濃国開発の時、木曽谷御巡行の途次に「御嶽」の霊峰を賛美し給い、その山上に造化の大元霊たる天地開闢国常立尊と、御父君たる大己貴命、御父君と同功一体の少彦名命の御三神を御勧請の上、国内の安穏、五穀の豊穰をお祈りされたので、爾来御嶽大神と御奉称申し上げるようになったと伝えられている。
 江戸時代後期、この御嶽大神の御神威による万民救済の大請願を以って、先ず天明期には尾張出身の覚明行者が、当時百日行という重禊斎の戒律の中、水行潔斎だけの軽精進で黒沢口の登山道を開闢、次いで寛政年間には武蔵出身の普寛行者が王滝口登山道を開闢、爾後尾張に覚明講、江戸に普寛講が夫々結成され広く普及するに至る。
 明治になって維新政策による宗教状況の変化に伴う御嶽信仰の不統一化を憂え、御嶽講の結集を呼びかけたのが、江戸で代々講の講元をしていた下山応助であり、明治6年に代々講を改称して御嶽教会を設立、13年には教勢の拡充を図り、平山省斎の大成教会と合同、遂に15年5月、神道大成派の特立に伴い御嶽教会を分離独立、9月28日には神道御嶽派として特立、11月6日に御嶽教と改称する、管長は大成教の平山省斎が兼任、本部を東京神田区小川町に置く。
 明治18年、二代管長に鴻雪爪就任。38年3月三代管長に山科言縄が就任。38年3月神宮寿四代管長となり、大正10年12月その嗣子神宮徳寿が五代管長を継ぐ。翌11年中山忠徳六代管長就任、同年北村清蔵管長事務取扱。15年10月尾前広吉、管長事務取扱就任の後、昭和3年七代管長に就任、教務所を品川区西大崎に置き、翌年御神殿を造営する。  昭和10年尾前管長帰幽後岡田栄造が管長事務取扱に就任。12年10月八代管長に、中興の祖と讚える渡辺銀治郎が就任し、御嶽信仰の根本道場たる木曽御嶽への登拝行の実践を奨励、教団の組織固めと民主化、信仰の原点への回帰を計るが、戦争による活動中断余儀なく、20年5月には空襲により東京の大本庁が消失したため、木曽福島に疎開し仮本庁開設、23年5月東京の土地売却資金で仮本庁に木曽大教殿(39年に山の本部となる)の神殿を完成させ再出発を計る。
 翌年1月八代管長帰幽。同年5月、その嗣子渡辺照吉が九代管長に就任、八代管長の遺志を継承する。特に宗教法人法施行に伴う「教憲・規則」の制定や、「七五三の教」の教義の確立、29年から始められた御嶽山頂上に於ける御神火祭の挙行、そして布教の拠点となる本部造営を計画、39年奈良市大渕町に御嶽山大和本宮(里の本部)の御神殿を完成、翌年御遷座の上大本庁を大和本宮内へ移転し、御嶽教中興に貢献する。
 昭和57年九代管長帰幽により、曽宮康之十代管長となり、10月開教百周年記念大祭を挙行する。62年御嶽山山麓に歴代管長霊場を建設し歴代管長の慰霊碑を建立、爾後立教記念日に、立教奉祝と慰霊の祭事をこの霊場で挙行。
 平成元年十代管長帰幽、十一代管長に大桃吉雄就任、平成4年に護摩堂を、7年には資料館を、夫々大和本宮に建立。平成15年第十一代管長任期満了退任により第十二代管長に村鳥邦夫就任。
教 義
 御嶽大神の御神業(国常立尊の天地開闢、万物造化育成の大神徳、大己貴命・少彦名命の国土開拓、救世済民、慈悲愛憐行の大霊徳)と、開山霊神の御行跡(覚明・普寛の二霊神が人跡未踏の御嶽を開闢された没我の精神に依る行徳)を尊信仰慕する心を御嶽精神として神習い、根本道場たる木曽御嶽山を幽顕無境、神人交遊の霊園とし、常に仰慕・登拝の二道を修して、その霊気に浴し、神ながらの清明な心の洗練と懺悔反省による六根の清浄とによって没我愛憐の神性を研磨顕現し、救世済民・万物感謝・道義教導の大先達たることをもって行道とし、天地同根・自他一如・生死不二の信念と、森羅万象・災難幸福はすべて神慮の示現であるとの理念に徹すると共に、帰幽後も大神等の御恵みに浴して、霊魂はこの霊園に安住することを確信し、相互協力互助の融合心を結ぶことを悟道とする。この悟行二道を認識会得し明朗感謝生活の実現と平和世界の建設を期する。
 特に行道の一つたる御嶽登拝が、信仰信念の涵養、悟道の開得、心身の鍛練を行う根本道場での山の行として、御嶽信仰の神髄であるとともに、この修行の道を通じて得られた信念と体験を生活の規範として、日常生活に光明をもたらし、日常の行の力によって世人を導く指針として、三つの守るべき条々(三教律)五つの実践すべき教(五教言)七つの踏み行い、養い生かすべき道(七行道)を「七五三の教」として示し、この教の実践窮行を里に於ける行としている。
祭式と祈り
 根本道場たる木曽御嶽への登拝行による祈り、また御嶽山大和本宮及び木曽大教殿への本部参拝や、各地の教会への参拝による祈り、各人日々の勤行(起床清掃の後禊行によって心身を清め、日の出を拝し、息吹行、神前へのお供え、神人感応行、祓の行事、神拝)による祈りを、夫々報恩感謝の念を持って実践する。
 本教の主要神事、大御神火祭は、木曽御嶽山の山中にて祈願斎木百万本を子の刻から丑満時にかけて焚き上げて祈る猛火の大祈祷であり、またおひかり祈祷祭は、御嶽山大和本宮の御神殿いっぱいに赤蝋燭を点じて祈念の詞を奉唱し夜を徹して祈願する祭事である。また埼玉県本庄市の普寛霊場で春秋の大祭に奉修される如く、鳴動神事・米煎豆煎護摩・御湯花神事・御嶽山各種護摩・火渡り・御座などの伝統的神事が独特な修法として行われている。