出雲大社教

所在地

島根県簸川郡大社町杵築東195

電話

0853-53-2063

ホームページi

http://www.izumooyashirokyo.or.jp/

御祭神

主祭神 大國主大神
相殿神 天之御中主神
    高皇産霊神
    神皇産霊神
    天照大御神
    天穂日命
    産土神

儀式・行事

説教始式   (1月5日)
福神祭    (旧暦1月1日)
教祖祭    (4月1日)
出雲大社教大祭(8月5日~8日)
祖霊社大祭  (春分・秋分の日)
戦没者慰霊祭 (10月第1日曜日)
龍蛇神講大祭 (旧暦10月11日)など

8月の大祭期間中には、大祭に引き続き「みたまむすびの霊行」が行われ、胸に瑞鈴を抱き、出雲大社の御神域「おにわ」において鎮魂を行い、親神様であります大國主大神の御霊力により、むすひの活力をいただいています。

創始者

教祖  天穂日命
組織者 第八十代出雲国造出雲大社大宮司
千家 尊福(第一代管長) 弘化2年8月6日(1845)~大正7年1月3日

教典

『教旨大要』
『大道要義』
『風教百首講説』
『大道問答』など

管長

千家 隆比古(せんげ ながひこ)

後継者

二代管長 千家 尊愛 (せんげ たかあき)
三代管長 千家 尊有 (せんげ たかもち)
四代管長 千家 尊宣 (せんげ たかのぶ)
五代管長 千家 達彦 (せんげ みちひこ)
現後継者
六代管長 千家 隆比古(せんげ ながひこ)

教史

 出雲大社教は、出雲大社に鎮まります大國主大神を奉斎主神とし、出雲國造の祖天穂日命を教祖とする神道教派です。本教の由来をたずねますと、神代の昔、大國主大神は初めて国土を開拓し、人々の幸福の基をお築きになり、やがてこの国土を皇孫命にささげて天日隅宮(出雲大社)にお鎮まりの後は、幽冥主宰大神として永遠に万民の幸福をお護り下さることになりました。ここに、天穂日命は皇祖の勅命により、出雲大社の祭主となって大神の御神慮を奉戴し、以来子孫は出雲國造として代々その使命を嗣ぎ、御杖代として世の人々を導いてきました。
 近世に入る頃より、國造は社家の人々を御師として諸国に派遣して人々に大社の御神札を授け、御神徳を説かせましたので、大神の御神徳を慕い奉る崇敬者は多くなり、やがて親しみをこめて「出雲さん」と呼ばれるようになりました。
 一方、第75代出雲國造俊勝の三男千家俊信は、本居宣長に学び、研鑽を続けて御神徳の考察を遂げ、社家の子弟など門弟二百数十人を育成しました。以後、俊信の学問は國造家及び社家の人々によって承け継がれ、やがて本教教義の編成に大きな力となりました。
 明治維新を迎え、時の出雲大社大宮司・第80代出雲國造千家尊福は、「幽顕一貫・顕幽一理」の大國主大神の御神徳をより多くの人々に伝えて社会教化を進めるためには、教会組織をつくる必要を認め、明治六年一月出雲大社の氏子信徒をもって「出雲大社敬神講」を組織し、さらに社務所内に「出雲大社教会」を設けました。その後、明治九年には規模を拡張して、「出雲大社教院」と改称、同12年には千家國造館内に「出雲大社教院」を移設しました。
 明治八年、神道をもって国民を導くために「神道事務局」が設けられましたが、ここにお祀りする御祭神を定めるについて「祭神論争」が起こりました。「造化三神と天照大御神の四柱をお祀りすべし」という意見に対し、尊福は世の人を導くにはすべての根源的世界である幽世に思いを致して、生死ひとつながらの安心を得させねばならない故、幽冥の主宰神である大國主大神をもお祀りしなければ神道布教の根底がないことを主張しました。尊福を支持する出雲派と伊勢派の二派に分かれての激しい論争(祭神論争)が繰り広げられました。明治十四年、ついに御祭神は奉斎せず宮中三殿の遥拝所とする旨の「勅裁」を仰ぐに至って、この祭神論のことは神学・教学論争としては決着せずに終息しました。
 こうした状況下、政府は明治15年1月宗教法令を改め、神社を宗教として取り扱わず、神官が教導職を兼ねて布教すること、葬祭関与を禁じました。そのため神社は宗教活動ができないことになってしまいました。
 ここにおいて、尊福は国家管理の下にある神社として大神の御神徳を宣布することの不可能なことを悟り、やむを得ず出雲大社から「出雲大社教会」を形式上分離させた宗教団体とし、明治15年5月10日「神道大社派」を立て、同年11月5日「神道大社教」と改称、出雲大社宮司の職は弟尊紀に譲って、みずから大社教初代管長に就任しました。
 終戦後、神社は国家管理を離れ宗教団体として宗教活動をすることになり、また出雲大社と本教を法的に分かっていました宗教法令も失効しました。これにより本教は、昭和26年4月以降は明治15年以前の〝出雲大社と一体〟の姿に立ち返り、出雲大社を宗祠と仰ぐ「出雲大社教」として新たな歩みをはじめることになりました。國造は出雲大社の宮司(祭主)として大國主大神の祭祀を斎行すると同時に大神の御杖代として本教の信仰の中心となり、管長は〝おみちひろめ〟(布教)の教務全般を統率する任にあたっています。
 昭和56年9月、明治15年の別派特立より百年を祝寿して全教信徒が教団一家の心に睦び、特立百年みかえし事業として神楽殿を新たに御造替、昭和57年特立百年みかえし奉祝大祭を盛大に奉仕しました。
 平成20年より、昭和28年以来の宗祠と仰ぐ出雲大社平成の大遷宮の事業が開始され、同25年5月10日には「本殿遷座祭」が斎行されました。この御遷宮には教団一家をあげてみかえしの真心を尽くし合い、蘇りという大きなご加護を賜りました。
 平成26年6月、第六世管長に千家隆比古が襲任、新管長を戴いて、次の御遷宮また特立150年に向けて新たな歩みをはじめています。

教義

 出雲大社教は、宗祠と仰ぐ出雲大社の大國主大神と私たちとを結び、安心立命の明るい生活を築くように教え導くことを目的としています。
 本教教義の要は「幽顕一如」にあります。目に見えない世界を幽世(かくりよ)、我々が生活している目に見える世界を顕世(うつしよ)といい、幽世と顕世は相即不離、一貫の関係にあり、顕世の幸福は、見えざる幽世からの恩頼により与えられています。この幽世を主宰されているのが、宗祠出雲大社の御祭神大國主大神で「幽冥主宰大神(かくりよしろしめすおおかみ)」と称えられています。
 人は「霊止(ヒト)」として、霊的存在であり、祖先からの霊質を継承し、大國主大神のお蔭のなかで生かされて生きている存在であります。現世においては、大國主大神に祈り仕え、敬神崇祖のみかえしを尽くし、人道を全うし、明るい社会、楽しい家庭を築くように勤しみ励み、死後にありては、その魂は幽世に帰り入りてなお幽冥主宰大神、すなわち大國主大神の恩頼(みたまのふゆ)をうけ、代々の先祖たちと共に、御家の守護神として霊魂の安寧を得ることになります。
 この生死一つながらの信仰生活の中で「幽顕一如」の道を歩むところに安心立命があるとするのが本教の要諦です。

祭式と祈り

・玉串拝礼
 明治四十一年、当時国家管理下でありました全国神社の祭式が統一され、由緒古き出雲大社独自の祭式も大社では行われなくなりましたが、その祭式は本教において保存され、承け継がれて参りました。
 その一例として、本教の玉串拝礼は一般神社とは異なり、玉串を戴いたまま拝礼をしています。玉串の玉は「魂」、串は〝つらぬきつなぐもの〟で、依代として神のみたまと私共の霊とをつなぐ串が「玉串」なのです。
 神を大きな樹と考え、そこから出ている枝葉が私共だとすると、玉串拝礼は神のみもとに還っていく姿を象徴しているといえましょう。従って本教では、他の神社のように玉串奉奠とはいいません。
・神語
 宗教にはそれぞれ、祈りを統一する言葉がありますが、本教においては「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまい さきはえたまえ)」の神語がそれにあたり、教祖天穂日命より代々出雲国造家に伝えられたとされています。
 幸魂奇魂とは、国づくり神話の故事に由来するもので、大國主大神は一生懸命に国づくりに励まれ、生きとし生けるものがその場所を得て立ち栄えてゆくよう努力された時、自分の生命の中に潜む「幸魂奇魂」の大いなる霊力にお気づきになられました。同様に私共も大國主大神から「幸魂奇魂」の霊性を受け継いでおりますが、慌ただしい日常にあっては、とかくこの事を忘れがちとなり、ためにその神性、霊性を十分に発動できずにいます。
 この神語を心をこめて唱えることにより、祈りを深め、それぞれの心のなかにある神性・霊性を自覚し、大國主大神とこころを結び直し、より良い姿によみがえりをはからせていただくものです。

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