綾部祭祀センター
京都府綾部市梅松苑 0773-42-0187
亀岡宣教センター
京都府亀岡市天恩郷 0771-22-5561
東京宣教センター
東京都台東区池之端2-1-44 03-3821-3701
教主
出口 紅(でぐち くれない)
ご祭神
大天主太神(おおもとすめおおみかみ)
天地万有を生成化育したもう霊力体の大元霊にまします独一真神をはじめ、大地を修理固成したまえる祖神(そしん)厳霊(げんれい)国常立尊(くにとこたちのみこと)、瑞霊(ずいれい)豊雲野尊(とよくもぬのみこと)その他もろもろの天使を、大天主太神(おおもとすめおおみかみ)と仰いで斎きまつる。
教 典
『大本神諭』(全7巻)、『伊都能売神諭』、『霊界物語』(全81巻83冊)を根本教典とし、『道の栞』『道の光』を教典。そのほか歴代教主・教主補による教説書多数
創始者(教祖)
開祖 出口なお(でぐちなお) (1837-1918)
聖師 出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう) (1871-1948)
後継者
二代教主 出口すみこ(でぐち すみこ) (1883-1952)
三代教主 出口 直日(でぐち なおひ) (1902-1990)
三代教主補 出口日出麿(でぐち ひでまる) (1897-1991)
四代教主 出口 聖子(でぐち きよこ) (1935-2001)
五代教主 出口 紅(でぐち くれない) (1956- )
儀式・行事
節分大祭 (節分当日)
みろく大祭(5月5日)
瑞生大祭 (8月7日)
開祖大祭 (11月第1日曜日)
神集祭 (旧7月6日~12日)
月次祭 (毎月第1日曜日:亀岡・綾部
毎月第2日曜日:東京本部)
祖霊大祭・万霊大祭(春・秋)
各種祈願・慰霊祭等
教 史
明治25年(1892)、教祖・出口なお開祖に国祖・国常立尊が「艮(うしとら)の金神(こんじん)」の名で帰神し「三千世界の立替え立直し」を宣言して開教した。開祖は文字を全く知らなかったが、明治25年から昇天の大正7年にいたる27年間、心霊科学でいう自動書記的に、和紙20枚綴りで約1万巻(20万枚)にのぼる預言・警告の筆先を記した。
もう一人の教祖・出口王仁三郎聖師は明治31年、神霊の導きにより郷里の霊山高熊山(京都府亀岡市)で1週間の霊的修業をし、現界・幽界・神界の三界、過去・現在・未来の三世の真相をきわめて宗教者としての使命を自覚する。同32年、開祖の招きにより大本入りし、開祖の五女すみこ(二代教主)と結婚、大本の教義と組織を整える。大正6年から開祖の筆先を『大本神諭』として発表、同10年から高熊山で見聞した内容を口述し『霊界物語』として刊行。大正8年、旧亀山城址(京都府亀岡市)を入手、神教宣布の中心地とし、発祥の地・綾部(祭祀の中心地)とともに二大聖地とする。
王仁三郎は世界平和実現のために「人類愛善」「万教同根」の思想・理念を提唱し「人類愛善会」を創立。しかしその神観や平和主義、国際主義は当時の国家当局を刺激し、大正10年と昭和10年の2回弾圧をうける。特に昭和10年から10年間に及ぶ第2次弾圧は日本近代史上最大の宗教弾圧といわれている。この弾圧事件は昭和20年の大審院判決で無罪が確定して解決したが、王仁三郎は国への賠償請求を一切放棄した。
大本は昭和21年、再発足。同23年の王仁三郎昇天後、二代教主は世界平和を願って世界連邦運動をすすめる。同27年、直日が三代教主を継承し、夫の日出麿三代教主補とともに、「脚下照顧」「言心行の一致」を旨とした大本の教風確立につとめるとともに、「信仰即芸術即生活」という開教以来の理想を唱導、自ら実践し、広く信徒にも奨励した。この三代教主時代に歴代教主・教主補による書画・陶芸作品等が欧米各地の美術館で展覧されたほか、諸宗教との合同礼拝が実現した。平成2年、出口聖子が四代教主を継承、開教以来の悲願の神殿「長生殿」を綾部に完成。また脳死臓器移植など生命倫理問題についても深い関心を寄せ、生命軽視の風潮に対して警告を発した。平成13年、出口紅が五代教主を継承。同24年大本は開教120年を迎え、開教以来の教風の確立をはかるとともに、歴代教主による諸活動(生命倫理活動、平和活動、食・農活動、エネルギー・環境活動、芸術活動、エスペラント活動、福祉活動等)の展開を進めている。
教 義
次の言葉は開祖帰神の際の筆先であり、「初発の神諭」(明治25年旧正月)といい、大本開教の目的等が端的に表現されている。
「三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。この世は神が構はな行けぬ世であるぞよ。今日(いま)は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの世であるぞよ。これでは、世は立ちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の天之岩戸開きを致すぞよ。用意をなされよ。この世は全然(さっぱり)、新(さら)つの世に致して了(しま)ふぞよ。三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を治めて、万古末代つづく神国の世に致すぞよ。神の申した事は、一分一厘違はんぞよ。毛筋の横巾ほども間違ひは無いぞよ。これが違うたら、神は此の世に居らんぞよ」
開祖の神諭(筆先)に一貫して述べられていることは――大地を修理固成した国祖・国常立尊が神界三千年の永い歳月を退隠して以降、地上の人心は、”われよし”(利己主義)、”強いもの勝ち”(弱肉強食)に堕し、このままの状態が続けば地上は危機的状況を迎えて「人民は三分になる」と警告。その窮状を救うため、国祖神が再びこの世に出現して、”三千世界”(※注―大本では「神界・幽界・現界」の三大境界をいい、過去・現在・未来をも指す)を立替え立直し、”みろくの世”(※注―大本では、主神が理想とする至仁至愛の世界、地上天国をいう)を実現することが宣言されている。
大本教義の基本として、以下の「教旨」「学則」がある。
〔教旨〕大本は、左の聖言をもって教旨とする。
神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体なり、神人合一して茲(ここ)に無限の権力を発揮す。
〔学則〕大本は、独一真神の無限絶対にましまし、神徳の広大無辺なることを覚るため、左の三ヵ条を学則とする。
一、天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし。
一、万有の運化の毫差なきを視て、真神の力を思考すべし。
一、活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すべし。
また、人類が四大綱領(祭・教・慣・造)の本義にかえり、四大主義(清潔主義・楽天主義・進展主義・統一主義)にもとづく生活実践を主張するとともに、みろくの世実現のため、万有一体、万教同根の真理にもとづいて大和協力し、人類愛善の実践につとめることを使命として活動している。
祭式と祈り
大本発祥の地・綾部(梅松苑)は、京都市の北西約80キロメートルにある。田園都市綾部の清流・和知川のほとり、緑濃い本宮山一帯を境内地とし、祭祀を中心として「天国」を地上に移写する根本霊場とされている。
天地万有を創造したもうたまことの親神であり、霊・力・体の大元霊にまします独一真神をはじめ、諸々の正しい神霊を総称して「大本皇大御神(おほもとすめおほみかみ)」と称え、梅松苑では「節分大祭」「みろく大祭」「大本開祖大祭」「神集祭」などが執行される。また亀岡の聖地(天恩郷)では、出口王仁三郎聖師の生誕を慶祝して「瑞生大祭」が執行される。
中でも節分大祭は、太初に大地を創造したもうた国祖神が、邪神たちによって世の艮(東北)に押し込められ「艮の金神」「鬼門の金神」として畏れられていたが、世の終末に際し、明治25年の節分に再現し、三千世界の立替え立直しと人類の救済を宣言した記念の日として盛大に祭典を執行している。また同大祭ではあわせて大祓い神事として、天地、社会、人事万般一切の罪やけがれを祓い清める厳粛な潔斎行事も行っている。
大本の祭りは、神のみ心と人の心とを”まつりあわせる”ことを本旨とし、祭典や敬虔な祈りを通して神人和楽の世界が地上に実現するとしており、同時に人はこうした神との”まつりあわせ”によって真の幸福が得られるとしている。